同窓会会報26号

西田小学校同窓会 会報

Nishita Elementary School 80th Anniversary No.26

(80周年記念号)
2023年(令和5年)3月1日発行: 西田小学校同窓会
写真提供:(株)ひまわり空撮様

ごあいさつ

西田小同窓会会長 中澤一郎 13期生(昭和31年卒)

同窓会会員の皆様には、いつもお世話様になり、ご支援をいただいておりますこと、改めて深く感謝申し上げます。会報発行が遅れまして申し訳なくお詫びいたします。
80周年記念行事の開催に当たっては、2020年に実行委員会が立ち上がり委員長には12期卒の檜枝光太郎様にお受けいただき、委員会は1年6か月(18回)に亘りました。各種意見を取りまとめ、学校運営協議会委員、地域、PTA、同窓会の一致協力で2022年12月3日に執り行われました。
前代未聞といっても過言ではないかと思われる、児童主体の新しい試みでしたが、児童たちの企画力、行動力で素晴らしい式と「祝う会」、が執り行われ一日大忙しでした。学校に関係するすべての方々のお互いに協力し合う西田の伝統が成功をもたらしたのだと思います。その、西田小は本徳校長先生の在任中にユネスコスクールの認証をうけ、小堂校長先生がユネスコスクールNISHITAの充実と実現を掲げ挑戦して、その意志は鈴木校長先生に引き継がれ更に前進、このたび「ユネスコスクールESD大賞の最優秀賞」受賞の栄に浴しました。
周年記念といえば、一般的には午後の祝賀会で関係者が集まり記念演奏会や祝宴があるのですが・・・・ありません。世界が大きく揺れ動くとき、学校も変化しなければなりません。新しい時代の幕開けといえるでしょう。
さて同窓会は50周年を機に設立されましたので、30周年になりました。学校の式典と同時に祝うことが出来ませんでしたので、別にホームカミングデイを開催したいと考えております。 よろしくお願いいたします。


創立80周年 「つなぐ」をテーマに


西田小学校校長 鈴木 朝代先生

令和4年度(2022年度)は、西田小学校が創立して、80周年を迎える特別なお祝いの1年
でした。新型コロナウイルスによる様々な変更や縮小が、どの学校でも行われる中での1年です。
しかし、そのような世の中だからこそ、この80周年を機に人がつながっていけるとよいと考えておりました。

実は、この周年のお祝いは、2箇年計画で進めておりました。1年目(令和3年度)には、児童の記念誌委員会、教員の周年委員会、CS、学校支援本部、同窓会、保護者の皆様からなる創立80周年実行委員会を立ち上げました。

通常は、周年を行う年に記念誌を作成するのですが、児童が主体的に関わり、この1冊で西田小の教育が分かるものを作りたかったため、記念誌(西田まるわかりガイド)は、令和3年度のうちに作成しました。ほとんどのページを実行委員会の児童(35名)が知恵を出し合って作成しました。そして、とても素敵な1冊となりました。

また、実行委員会の皆様には、月に1回ご参集いただき、みんなが楽しめる祝う会を作り上げるために、それぞれの立場からアイデア
を出し合い、分担を決め、予算立てをし、多くの時間を費やしながらご準備いただきました。 そして、80周年の今年度は、1年間かけて、西田小の80歳をお祝いしようと、学級の窓にお祝いの装飾をしたり、花壇に「80」「おめでとう」の花文字を作ったり、「80」を意識した行事を行ったりしました。

特に、令和4年12月3日に行われる周年イベントに向けて、5年生主体の記念集会実行委員会、6年生主体の西田博覧会実行委員会を立ち上げました。西田小学校にしかできない、児童が企画運営する周年行事を、教職員と共に作り上げてくれました。白石高士教育長をはじめ、多くの皆様から、児童の取組を称賛していただきました。その様子は、本会報4ページ以降をご参照ください。当日午後に行われた祝う会には、500名を越える方々にご来校いただき、心温まる会になりました。保護者、ニシタス(学校支援本部)、地域の方、子供たち(希望者)がブースを担当し、参加された方に楽しく過ごしていただきました。1、2年生限定でしたが、もちつき体験もでき、大変にぎやかな祝う会となりました。


実行委員会の話し合いの中で、それぞれの立場の方の思いは決して同じではなく、一つの方向性を見いだすまでに多くの時間を要しました。しかし、その話し合いが、「つなぐ」というテーマの達成に不可欠であったと思います。人は、参集して、相手の目や表情を見て、声色などから様々な思いを感じ取り、気持ちや考えを伝え合うことで、よりよいものを生み出していくことが大切であるとつくづく思いました。この記念すべき80周年という年に、西田小学校に関わる人たちがつながり、これからの西田小学校を応援してくださるつながりができたことを大変心強く思っています。

様々な場面でご尽力いただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
さて、ここでうれしいお知らせがあります。ユネスコスクールNISHITA の挑戦を始めて8年目になりますが、この度、第13回 EDS大賞の最優秀賞をいただきました。実は、令和元年度にも第10回 ESD大賞の小学校賞をいただいたのですが、本校の教育活動がその後の3年間の積み重ねによりさらに高い評価をいただいたということです。私が西田小に着任してからは、ESD教育を
さらに充実させ推進することがユネスコスクールとしての使命でした。

この3年で特に変容を見せているのが児童の特別活動と地域とつなぐESDです。
児童は「この学校を自分たちで創る」という気持ちで、主体的に委員会活動を行なっています。また、子供と大人の話し合いの時間をもち、自分たちが探求している課題について、大人の意見やアドバイスを聞いたり、ともに活動していただけるようお願いしたりして、地域とつながるESDの推進のため一歩踏み出したところです。

同窓生の皆様におかれましては、ぜひ、現在在籍している子供たちと共によりよい地域づくりを目指して活動していただけると幸いです。



ユネスコスクールNISHITAと西田小学校同窓会のますますの発展を祈念して
第21代校長 小堂十(こどう つなし)様
西田小学校80周年、おめでとうございます。その長い歴史の中で、私が足跡を留めたのはわずか3年間でした。
しかし、この3年間は、私自身の教育の集大成として充実したものとなりました。
それはまぎれもなく教職員・保護者・学校支援本部・同窓会・地域の方々がひとつになって、児童の学びを、ユネスコスクールNISHITAを支えてくださったからであることはいうまでもありません。
ユネスコスクールであるならば、ESD(持続可能な開発のための教育)を中心にした学校経営をと意気込んだものの、私が、校長として着任した2016(平成28)年度の頃の西田小は、ユネスコスクールの実践もまだまだ暗中模索の時代でした。しかし、私は前任校である久我山小時代から、学校づくりを推進していくには、常に持続可能性を追究した教育の必要性を感じていました。従って、ESDの推進について全くブレはありません。推進のキャッチフレーズとして、ESDをもじって『ESDからESDへ((Eっ、SoんなことDeきないから、Eっ、SoんなことDeきるの!へ)を掲げ、これまでの学校の常識に囚われず、どんどん新たな取り組みに挑戦しました。
学校の教育活動の中心である校内研究では、生活科・総合的な学習の時間を中心に、授業づくりを通じて「ESD カレンダー(年間学習計画)」を作成しました。研究協議会には、多くの専門家の方々や地域の方々にも参加していただき、一緒に研究を深めました。そして、その成果をESD報告会として、大勢の方々に見ていただきました。
この年コミュニティースクールの承認も受け、会長には諏訪哲郎先生を迎え学校運営協議会が発足しました。
この間、学校支援本部、同窓会の心強いサポートは力強いものでした。中でも着任して1年目に開催した「西田の丘フェス」のことはわすれられません。地域の心の拠り所として学校が何か果たせることはないだろうかと考えた末に生まれた音楽フェスです。企画・運営だけでなく、地域への声掛けなど、細かな部分まで配慮していただきました。
学校行事という縛りから解放され、自由な時間と空間を提供することになりました。また、2年目には展覧会(学習発表会)を「トワイライトミュージアム」と称して、金曜日の夜に実施しました。ここでも、学校支援本部が企画・運営をし、同窓会が協力してくださいました。まだまだこの他にも、西田小ではこれまでの殻を破る活動は、現在も引き続いて展開されていることでしょう。
学校内もたくさんの新たな取り組みだらけでした。2年目からは”SDGs17” のゴールとリンクさせながら、考えていきました。学芸会(学習発表会)においては、児童自らが台本を作った創作活動も生まれました。その姿を涙してみる教員の姿も感動的でした。毎年のESD報告会では内外を問わず、いろいろな方から子供たちの成長への喜びや賞賛の声が届きます。年を経るごとに、成長していく西田小へと大きく生まれ変わりました。
当時ユネスコスクールNISHITA建設のために一緒に汗を流した新井
副校長とは「まずは、6年間でどう変わっていったかをみたいですね」と
語りあっていました。6年間、つまり、ユネスコスクールとして6年間過ご
した子供たちがどんな成長をとげているか。
それが、私たちの第1のゴールでした。
その子供たちも令和4年3月には西田小を旅立ちました。
これからは、毎年、ユネスコスクールNISHITAで過ごした子供たちが
陸続とつながっていきます。
現役を離れた教員の楽しみといえば、自分が関わった学校が、どう発展
し、教え子がどんな活躍をするかです。
これを見るにはまだ10年20年の歳月が必要かもしれませんが、創立
90周年、100周年を考えると、今から“ちむ どんどん(胸がわくわくする)”してきます。
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80周年記念行事のようす
西田小同窓会副会長 小林眞人 14期生(昭和32年卒)

5年生 企画・運営 『記念式典』
2022年12月3日、朝8時、低い雲が垂れ込める校庭、気温5度、北の風やや強し。冷たい地面で待機する児童たちが行動の合図を待っている。5年生の代表が元気よく朝礼台に上がり、明るく明瞭な言語で開会を宣言した。
芯から強い西田の子どもを見た。感動した。
さあ始まりました創立80周年記念式典の全校集会。5年生による計画・運営によって1年生から6年生が、皆この記念式典の主人公となっている。80周年に掛けて、大縄跳び80人達成、サッカーボールリフティング80回達成など西田ギネスへのさまざまな挑戦というアイディアが独特で笑いを誘う。
“にしたろうー”待ちに待っていたような低学年児童の呼ぶ声。ゆるキャラ“にしたろう”の登場。ぬいぐるみの生地が薄くて寒くスタスタ歩けないのか、それとも持ち味なのかわからないが、寒い会場に温かい癒やしを振りまいてくれた。児童は自ら楽しむだけでなく、これまでも、そしてこれからも自分たちを見守ってくれる学校関係者や地域の方々への感謝も忘れていない。大きな感謝状と大きな拍手が校庭に広がっていった。
全校集会
にしたろう登場
前日のおみこし巡行
お祝のデコレーション
西田ギネスに挑戦
・二重とび
・大縄跳び
・けん玉(もしもしカメ・・)
・ボールリフティング
・クイズ
・などなど
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■ 6年生 企画・運営 『西田博覧会』
ユニークな記念式典の余韻がまだ残っている校庭で次のプログラムへの橋渡しが始まった。招待された私たち
の所へ6年生が来て、今度は「西田博覧会」へエスコートしてくれるのだ。会場は体育館。(寒帯から温帯へ)。
まず、「西田小の歴史」。これは6年生有志8名が大胆な形式で表現し、会場の耳目を集めた。コンサート的オペラのように西田を語り、西田を見せてくれた。次は「西田小の現在、そして未来」。ここからは、説明するもの・話すもの、聴くもの・見るものではなく児童、招待者混在の小グループに分かれて同じ地盤に立ち、西田小学校と私たちが置かれているさまざまな課題をともに討論しあっていくという、まさにESDの現場となった。 地域、環境、平和・・・等々、
課題を集め、分類・整理し、考えをまとめ、思考を補強していく。ともに学んだ、というか学ばされた。5年生と6年生の
議論、整理の仕方、表現が秀逸なのには喫驚した。これがESD?SDGs?それにしても充実した学習の場であった。
西田博覧会開会
西田小過去(太平洋戦争の中で)
戦時中の第一校歌斉唱(豊旗雲・・・・)
西田小現在(平和・環境問題)など大人と話し合う
西田小の未来は・・・
西田小未来について大人と話し合おう
えんたくん発表
西田博覧会閉会
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80周年記念実行委員会 『祝う会』
午後1時、松溪中学校吹奏楽部の演奏で80周年の祝う会が開会しました。体育館内には児童が楽しみにして
いる射的・輪投げ・魚釣り・クイズゲームなどさまざまな遊び場が、また保護者には人気のバザー販売品なども
所せましと配置されました。同窓会は舞台前にひときわ目立つのぼり旗をかかげ、「缶バッチ」コーナーを開店。
はじめ、児童たちは既製のイラストや写真を貼り付けて簡便に作るのかなと思っていたら、みんな手書きイラ
ストでオンリーワンの缶バッチ制作をがんばっていました。低学年でもイラストが上手い。やはり個性的ですね。
缶バッチコーナーは順番も制作机もいつも満席、最後尾という案内プラカードもあればよかったかも。
餅つきは応募者150名を超える人気で大変です。打ち手、丸め手に地域の人たちの貴重な経験が生かされま
した。子供たちも餅つきで杵に振り回されていました。学校支援本部の竹あかりチームが制作した”竹あかり“も
壇上でかがやいておりました。特に6年生が熱意をもって取り上げたフェアトレードの学習の成果を商品販売と
いう形で発表していました。助け合いの気持ちを世界中に! 関係者の皆さまお疲れ様でした。
(小林:記)
缶バッジコーナー
オープニングセレモニー松溪中
実行委員長挨拶
西田自治会長様ご挨拶
輪投げ
魚釣り
射的
支援本部
竹あかり
バザー
餅つき
フェアトレードコーナー
モザイクアート完成
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西田小学校が空襲で焼けてしまった!!
島内 毅 2期生(昭和20年卒)
会報19号へ寄稿いただいた故島内様(一昨年ご逝去)の記事より西田小で最も大きな出来事をつづられた手記を
ご遺族のご了解を得て、再掲させていただきました。
昭和20年5月25日夜11時頃だったと思う。「パラパラ、パラパラ、パラパラパラ」と大豆を炒るような不気味な音が
して空から焼夷弾
しょういだん
が降ってきた。参考までに3月10日、 5月25日に東京に落とされた焼夷弾は、6cm位の六角形
の筒状で、長さが50cm位の金属製のもので、大量の焼夷弾の油脂が木造の建物を燃やしたのだった。大空襲で、
下町、山の手と、大きな被害を受けた。 近所にも何発も落ちて、皆で懸命に消したが、大きな焼夷弾の塊も落ちてき
たりして大変な騒ぎだった。昭和19年に私たち六年生は、長野への集団疎開組と、東京居残り組とがあって、私は、
居残り組の生徒として、学校へは集団登校で通っていた。昼食の時間頃には、頻繁に警戒警報で、家に帰ることがあ
り、給食の蒸しパンを貰って家に着く間もなく空襲警報が鳴り響くことも多かった。午後の授業はほとんど出来なかっ
たように記憶している。また、真冬の夜は寝付いた頃に、警報で叩き起こされて庭の防空壕に入り、2時間位して警報
が解除になって寝床に戻っても蒲団は冷え切っていて、寝付かれなかった。西田小学校は、私たちが昭和20年3月
に卒業した後、軍隊が使用していたために、この夜見晴らしの良い校舎が狙われて、数多くの焼夷弾が落とされて全
焼してしまった西田小に行ってすっかり焼け落ちた校舎跡を見て愕然とした。また、西田小を卒業して、都立十中(現
在の西高)に往復徒歩で通い始めたが、7月下旬に空襲警報が鳴って、走って帰宅途中(その頃は、畑が多くて空か
ら丸見え)米軍の爆撃機が、たった一人の 私に機銃
きじゅう
掃射
そうしゃ
を掛けてきた。ビューンという弾丸の金属音に驚き、よその
家の木陰に隠れて難を逃れたが、危うく命を落とすところだった。また、B29が
高射砲
こうしゃほう
で撃墜
げきつい
された時に久我山まで、墜落機を見に行き、ジュラルミンの破片
を拾って帰ってきたこともあった。 そして、8月15日の天皇のポツダム宣言受
諾の放送まで、日本は絶対に勝つと思っていたが、こんな戦争は、「百害有って、
一利無し」と声高く叫びたい。 昭和20年終戦の年から丁度70年の2015年
8月に当時を思い出して、現在の平和を有難く感じています。夏季、校舎に宿泊
して行われた合宿訓練。木銃代わりの竹の棒での突撃訓練。 ひもじさが今でも
思い出される、それでも懐かしい信州「別所温泉」への集団疎開 。 そして、忘れられ
ない「東京大空襲」。昭和20年 3月10日未明、我々は中学受験のため長野から帰京の
車内で、燃え盛る「東京」を目の前にしました。何かの手違いで順序が変わり、先行した
江東区組は全滅と伺っています。荻窪駅には誰も迎えが無く、幽霊を見るような目で立ち
つくす家族の元へ辿り着いたのです。そして5月25日中学入学後の西田小学校炎上です。
昭和20年代 西田小とその界隈
大森 達雄 10期生(S28年卒)
会報18号へご寄稿いただいた記事の再掲について大森様にお許しをいただきました。
私は昭和15年生まれの84歳(現在に修正)のおじいさんです。
本人はそうは思っていませんが。縁あって60年ぶりに荻窪を探訪
する機会があり、60年の歳月の変化を実感しました。私は昭和24
年の秋に学習院から西田小学校の3年生に転入しました。西田小
学校の至近距離の西田町456番地には3歳の頃から住んでいまし
た。残っていたものは極論すれば一部の道路と一部の川と橋だけ
でした。幸いなことに西田小学校はありましたが、西田町は荻窪1
丁目となってしまいました。「西田」の地名は学校にしか残ってい
ないみたいでした。昭和28年に卒業するまでの3年半の出来事を薄れた記憶をたよりに記します。
当時はまだ戦後まもない頃で二部授業というのが残っており1年弱でしたが、教室が足りないので校庭で一般教科
西田小の思い出
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の授業をうけるのです。校庭にはそのためのベンチと机が用意されていてピクニックみたいなものです。そのぐらい生徒が多かったのです。これを「青空教室」とか校庭の木の名前にちなんで「青桐教室」と呼んでいました。当時の校舎は戦争で被災した跡に作られた木造の平屋で今で言えばバラック同然でしたが、在学中に校庭の敷地が拡張されたり、2回に渡って二階建て校舎の新築が行われ5・6年生のときはいつも新校舎で勉強させてもらいました。放課後の遊びと言えば友達の家に行ったり、自転車に乗ったりしました。当時は自転車を持っている家庭がまだ少なく持っていれば「お大尽」でした。幼稚園から一緒の野口晴也君とはよく遊びました。
ドブ川を長靴を履いて歩き回り他所の庭先を眺めるとか、道路下の暗渠あんきょを這う様にして抜けてどこまで続いていたとか。当時の川は生活廃水を流すためのものでしたので、各家庭からパイプが伸びていて喜んで川遊びをしていると突然の放水を浴びたこともありました。台風のときに竹やぶで竹に登り掴まっていると頭が地面に付くほど倒れるのが面白い。「肥溜め」に石を投げておつりが来る前に逃げる遊びは畑がなければできないものです。 大きな石ほどしぶきが大きくてスリルがあったものです。人があまりやらない楽しい遊びを次から次から考え付き「私はなんて頭が良いのだろう」と、今でも思っています。以上、爺さんの独り言でした。 ↓西田小学校、周辺の変化
昭和25年~28年頃の学校と周辺
新校舎の後ろに旧校舎が見える S28年2月撮影
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西田小学校と共に3世代
松溪中学校PTA会長 菅野雅子 41期生(昭和59年卒)
わが家は祖父の代で荻窪に移り住んで、親子3代で西田小学校・松溪中学校に通っています。
子供4人が在籍している期間だけでも15年間、西田小学校に通うことになります。
自分と姉の通っていた期間も足すと23年間、今50歳なので人生の半分近く西田小学校にお世話になっています。周年も父が10周年、私が40周年、長男が70周年、二男と二女が80周年に参加して、親子3代で校歌が歌えます。 私が4年生の時に40周年だったのですが、40年前には今の低学年の保護者はまだ生まれていなかったかもしれません。校内には、姉の代(昭和57年度)の卒業制作も、私の代の卒業制作(昭和59年度)もまだ残っています。夫も杉並区育ちですが、通っていた杉並第八小学校と高円寺中学校は高円寺学園として統合されて無くなりました。5年前には、私が通っていた双百合幼稚園も無くなりました。
移り変わっていく町の中で、変わらず母校があり、自分も学んだ校舎で子供が育っていっていることに感慨深い気持ちになります。同級生や同級生の保護者や地域の方も、保護者やシルバーさんとして関わってくださっていて、ヤゴの産卵ベッド作りで保護者として同級生と一緒に授業に参加して、お互い大人になってまた一緒に授業を受けるなんてと話したり、同級生のお父さんや、私の母や祖父や私の幼児の頃のことも知っている方がシルバーさんとして関わってくださっていたりと、自分も子供も地域の中で育ててもらっていると強く感じます。
私はこれからもここに住み続ける予定でいますので、もしかしたら自分がシルバーさんとして関わったり、孫が西田小学校に通うかもしれません。
80周年は今までと全く違った形の記念行事で、時代の流れと今の西田小学校の姿を実感するものでした。
90周年や100周年を迎える西田小学校が、その時どんな姿になっているか楽しみにしています。
仲良し4人組『Reveries』LIVE再開
揃って西田、松溪中を卒業した20期の四匹のおっさん
フォークソンググループ『Reveries』がLIVE演奏
を再開しました。2月11日(土)曙橋にある「BACK in
TOWN」での演奏を3年ぶりに聴いてきました。
往年のフォーク名曲はいつまでも心の中にしみし浸み
込んでいます。会場はフォーク大好き人間で大いに盛
り上がりビールも最高の味でした。 (中澤:記)
西田小時代のこと ベース奏者 田原恒雄 20期生(昭和38年卒)
都の西よ、森は茂り、風さえにおいて、爽やかにと唄い出す西田町の風景は、時代を超えて住居の森になっています。私の西田小の思い出は、入学式に革靴を履いて行き、同級生の足を踏んでしまったことに始まります。学校に入って右側の校舎が建て替え中で、二部授業、通学が朝行ったり、昼からだったりした覚えがあります。音楽室にはベートーベンに容貌そっくりの先生がいて、女子には怖がられていました。でも指導熱心な先生で、器楽部に入っていた私は、先生主導の元、皆んなでニッポン放送に行き、クシコスの郵便馬車、ハンガリア舞曲、ドイツ舞曲を演奏しました。お土産にその頃売り出し中の“前田のクラッカー“をお土産に貰って満悦に帰ってきましたが、バスのステップに落としてしまい粉々になってしまいました。
生活環境としては、昭和30年代初め、今思えば、地下鉄丸ノ内線(当初は荻窪線)建設で掘った土を西田田んぼの埋め立てに使い、そこに荻窪団地が建てられ、ニューファミリーが新しい文化を持って西田小にも人数だけでなく影響をもたらしたことでしょう。さて皆様のお蔭で小学校生活を送った後、松渓中学では時代の波に乗りグループでの音楽活動を始め、今現在に至っております。年複数回のアメリカンフォークソングのカバーバンド活動を行っています。高校・大学からのグループが多い中、小学校の同級生でバンドを50年以上続けていることには、珍しがられています。命の続く限りやって“生“きます。
左より:石川さん、大久保さん、田原さん、武石さん
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貴重な卒業文集をいただく
瑠璃川正子様(旧姓:中野)から1962年(昭和58年)卒業の文集「年輪」をいただきました。
分厚い2センチの中に5クラス250名余の貴重な思い出がつづられて
います。中でも秀逸なのが6人の児童が調べて発表した「杉並の変わり
方」というものです。(本人たち覚えているかな?)これは、今の荻窪に住
んでいる人たちの中でも知っている人はわずかでしょう。私は60年も前
に書かれたこの文を読んで、本当によく調べ考察していると感心しました。
西田小学校では今も地域について調べていますので、ぜひ学校に保管
(卒業生の文集の棚があり)し利用してもらいましょう。
思わぬタイムカプセルからの宝物。19期の方々覚えています?
瑠璃川様有難うございました。
その他の学校行事
80周年記念「西田の丘フェス」
恒例の「西田の丘フェス」を開催しました。11月23日(祝)は周年記念12月3日(土)と間が近いので、開催するかどうかを思案していましたが、80周年記念ということで先生方も他の出演者も凄い気合の入れようです。毎年
このイベントを待っていてくださる方も多く、主催者にとっては有難いことで支援本部と急遽企画を立てました。
児童、来場者、出演者、出演先生方で大いに盛り上がり楽しい一日を過ごすことができました。
80周年記念学習発表会「トワイライトミュージアム」
1月27日(金)と2月3日(金)夕刻6時半から「西田小学校学習発表会」を夜間の部としてお届けする企画です。
学校支援本部が6年前から開催しているものです。働いている保護者はお仕事でお子さんの作品を見られません。そこで、考え出した素晴らしい企画です。今年の作品は素晴らしかった。同窓会は6人で受付のお手伝いをしました。
脱炭素チャレンジカップ2023(オンライン-youtube)
全国から選び抜かれたジュニア・キッズ部門6団体に西田
小学校がノミネートされ2月16日の大会で「ユネスコスクール
NISHITAの挑戦~未来の学校~」をテーマに明るく元気にプレ
ゼンテーションをしました。オンライン形式で行われ29団体が
発表しました。視聴はYouTubeでのオープン参加でした。
審査の結果、12団体がいろいろな賞を貰い、西田小は「最優秀
わくわく未来賞」をSOMPO環境財団から頂きました。
天井からの巨大な80オブジェ
支援本部の竹あかりがお出迎え
同窓会のウェルカムロード
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脱炭素は国民一人一人が毎日の生活の中で無駄をなくすなど,小さなことの積み重ねの実践が必要で、国レベルの大胆な施策も待ったなしです。今の子供たちが大人になったとき健康で安全な生活を送れるように!!
世話人会報告
1.日 時:2022年(令和4年)8月9日(火)午前10時~
2.会 場:荻窪地域区民センター第4・5集会室
3.出席者:世話人(9人/15人)、理事(8人/10人)
4.議 事
■活動報告:2021年度事業・決算・監査報告(主な事項)
1)2020年度世話人会実施:2021年8月1日(日):荻窪地域区区民センター:出席21名
①20年度事業・会計報告、21年度事業計画・予算案等審議
・20年度事業報告と収支会計・監査報告 ⇒承認 ・21年度事業計画と予算案 ⇒承認
・21年度学校行事協賛活動 ⇒承認 ・コロナ禍消毒液寄贈 ⇒承認
②「同窓会会報」印刷物発行 ⇒承認、22年2月発行
③母校創立80周年記念寄付 ⇒60万円を寄付(記念行事実行委員会へ)。
④会員増・拡充の勧誘計画 ⇒58期~60期を主対象に430軒ポスティング実施。反応皆無。
⑤特別基金口座取扱内規作成・口座開設 ⇒三菱UFJ銀行に開設、同窓会収支と分離管理。
2)世話人+理事会の実施:2021年12月5日(日)西田小学校図書室:出席11名
①図書室整備「図書寄贈」「アクリル板設置」「紙芝居舞台」特別基金より支出(168k¥)
②創立80周年記念行事 ⇒2022年12月3日(土)記念式典(児童中心、子どもの遊びを支援する)
・実行委員会 ⇒学校長他、実行委員長:檜枝光太郎(12期)、副委員長:中澤一郎(13期)
■活動計画:2022年度事業計画・予算案
1)決算理事会の実施:2022年6月14日(火):かふぇ&ほーるWith遊:出席8名
①2021年度世話人会実施準備 ⇒22年8月9日(火):荻窪地域区民センター
■令和3年度の決算時点の資産一般会計 1,760k¥ 周年事業積立金 280k¥(600k¥を
80周年行事に寄付しております) となっております。詳細はお問い合わせください。
維持会費制度について
維持会費制度は、基本的に任意です。極力、会員の皆様の煩わずらわしさとご負担を軽くするため2008年に制度化され皆様方のご協力をいただいております。下記の通りです。
・維持会費は年間500円とし、5年分(2500円)を一括してお振込みいただきます。
・維持会費は卒業後概ね20年経過した時点での開始となります。
同封の〒お振込み用紙(2枚)の記載方法は下記要領でお願いします。
・1枚は2500円の維持会費金額が記載され維持会費用です。
・もう1枚は金額が記載されていないご寄付用です。
大変申し訳ございませんが、郵便料金の改定で振込み手数料をご負担いただくこととなりました。
・郵便振り込みとは別に銀行口座を設けておりますので、振込み手数料はご負担願いますが、下記口座にご入金いただけますのであわせてご利用お願い申し上げます。この場合、振込人フルネームのうしろに維持会費は(01)を寄付は(02)両方は(03)を付記記入お願いします。
三菱東京UFJ銀行 荻窪支店 普通 0632539 名義 西田小学校同窓会
なお、維持会費の有効期間(5年:2018年以降納付の方)内の会員様には維持会費用振込用紙は入れておりません。有効期間が過ぎている維持会員の方には振込用紙を入れてありますので、ぜひご継続をお願いいた
12
します。維持会費の納入状況がわからない場合はお問い合わせください。新規ご登録、維持会費のお振込みをお待ちいたしております。
個人情報保護について

同窓会会則により個人情報保護について、お名前、住所などの登録情報は名簿管理責任者を決め管理し ております。名簿及びその他の個人情報や記事情報などは同窓会の活動(会報送付、同窓会開催、連絡)のみに使用し他への流用致しません。
編集後記

皆様方からの投稿有難うございました。次回に向けてのご寄稿をお願い申し上げます。

長いコロナとの対応でクラス会などが開けない状況でしたが今年は何とかなりそうですネ。
各期の幹事様よろしくお願いいたします。 今年はぜひ、皆様方からの楽しいおたよりをお待ちしております。
同窓会通信の活用
同窓会通信により学校行事、同窓会行事等、その都度メールをお送りしています。(Gmail/Outlook)
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